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不動産売却のご相談は庭田総合事務所へ

不動産部の歴史company

2014年1月からは、当社本体も10年ぶりに再度、宅建登録をいたしまして不動産事業を更に強化いたしました。
今までは不動産の売却を依頼されましたら、系列会社に紹介・委託し、全体を当事務所が監督するという共同体制で業務を行ってまいりました。

新聞に折り込まれる大手不動産会社のチラシにも、当事務所グループが提供した物件情報が数多く掲載されております。

年間相当な数の不動産売却案件を法的に事前処理、地元不動産業者に提供させていただき、お客様、業者様双方に喜ばれてまいりました。

別のページにも書きましたように、最近は以前に増して売却のご相談が増えてまいりました。
また、事務所の体制も整いましたので、不動産部を再開いたしました。

ここで簡単に当事務所の不動産部の歴史を書いてみます。

当事務所代表の庭田正治は20歳、早稲田大学3年のときから経営コンサルタントになるべく研究してまいりました。
つてを頼ってアメリカの状況まで研究いたしました。
また、さまざまなコンサルタントを標榜する人たちに会ってみました。
それで気付いたのが、あまりにも『素人:シロウト』のコンサルタント、専門家(と称する人たち)が多いということでした。
たとえば高級なカメラを首からさげて『私はカメラマン』と言えば、見た目だけはカメラマンです。
コンサルタントを名乗る人も、『私はコンサルタントです』と言えばそれらしく見えます。そのような感じです。
私はコンサルタントと称するのであれば、きちんと業務を行ってみよう。
10年すれば、1人前ではないかと考えた次第です。

1993年2月から2003年6月まで宅建登録。丁度10年超活動いたしました。
当時は二人の男性社員を雇って、本格的に活動してみました。
以下が手がけた業務の一部です。

土地造成開発を金融機関から1億円くらい借りて、事業としてしてみましたが、多大な損失を出しました。結局、土地の仕入れ値が高かったわけです。コリゴリですね。
木造。鉄骨。鉄筋。1戸建て。長屋形式。アパート。マンション。すべての形状の賃貸物件を、一度自社で所有してみました。
経営ノウハウ、金融機関対策などのノウハウが吸収できましたので、一部を残して売却いたしました。
当初から10年間かけて、プロとしてのノウハウを吸収するのだと決めていましたので、2003年6月、宅建協会を退会すると事務局の方に伝えました。
当時、代議員とか部会の一員として、宅建協会の小さな役割を引き受けておりましたので、退会するのは、もったいないと言われました。
事実、当時の役員が訪ねて来られて、そろそろ支部長選挙に出てはとも言われました。まことにありがたいことでしたが、コンサル業務が多忙になってきておりましたし、両親の介護もはじまりそうでした。
以上のような理由で、二人の男性社員には独立してもらい、私としては宅建協会を円満退会いたしました。
鹿児島県知事(3)第4059号でした。

退会してから更に10年経ちましたし、計画通り 4歳違いの二人の息子が、一人は大学を、もう一人は大学院を同時に卒業しまして人員が揃いました。
そのような事情もありまして、2013年12月、10年6ヶ月ぶりに登録、再開した次第です。
親しい金融機関の人には『満を持して』ですねと言われました。ありがたいことです。
宅建協会には以前、10年間所属しておりましたし、全日本協会の何代か前の鹿児島支部長が私の友人だったこともあり、今回は、宅建協会の方ではなくて、全日本協会に入りました。
また、系列の不動産会社は全員、宅建協会の方なので、双方の業者と交流ができ、情報が豊富になると考えたゆえであります。

まさに満を持して、本格的に活動を始めました。
今まで以上に皆様のご利用を、宜しくお願い申し上げます。